また、政治家の失言がありました。何でも、憲法改正についての講演で「ヒットラーはドイツ国民が選んだ政治家です。ナチス政権の手口を見習っては?」みたいな発言で、まるで、ナチス政権を肯定しているかのように聞こえる発言である。その発言に大阪のH氏は「A氏の発言は間違っていない。国語力のある人であれば理解できるはず」などと、擁護している。こちらの方も失言の多い方ではありますが、それならば、日本国民の多くが国語力がないということかしら?
国内で治まれば・・・と言う期待もむなしく、世界では大騒ぎになってしまいました。ドイツは勿論のこと、「馬鹿にされた!」と怒っているし、ユダヤの方々にしては、怒りを超えた感情を抑えきれないでしょう。ユダヤ人の中には非常に才能あふれる優秀な方も多く、また、世界にネットワークを持ち、アメリカにも影響力があるという。その中には「金融」も含んでいるのだ。アメリカ頼りの日本。景気だけが頼りの日本。これからどうするの?
あれだけ、家柄もよろしく、お勉強も沢山した方なのに、どうしてかしらね?何ももっていないご主人様のほうが、余程賢い。と私は言いたいワ。
ある評論家が、A氏が言った歴史認識にも間違いがある。と話していましたが、今、某国から「歴史認識せよ!」と訴えられているけど、これじゃ、もはや反論も出来なくなってしまった。一人の発言により、日本国民は、知らない内に世界から「罵声」を浴びせられているのだ。せめて、この認識だけは持ってもらいたいですね。
さて、今日の話は「罵声」ではなく「美声」のハナシ。いつか、ご主人様ライブでライアンが歌ったのですが、あれから、来てくださった友達に逢うと、決まって「ライアン上手いね〜」「ライアン、素敵な声ね〜」「ライアンは今までどこかで歌っていたの〜」とまぁ、ライアンへの褒め言葉で溢れているのです。
確かに彼は、以前(遠い昔ですが・・・)ロックバンドをやっていて、ガンガンと歌っていたらしく、素敵な響く声をお持ちなのです。ただ、これもズーット昔ですが、喉のポリープの手術の後に「一週間は安静に、声を使わないように」と医者から言われたにも関わらず、翌日にはカラオケでガンガンギャンギャンとやってしまい、その時から声はガラガラで高い声は出なくなってしまったと言う。せっかく、親から「美声」と言う素晴らしいDNAを頂いたというのに、本当に親不幸なライアン。それからは人前では恥ずかしく歌えない。と言うが、最近は美声にこだわらず、ご主人様ライブの時にはオアソビで歌ったりしているのです。
結構、長い期間、ボーカルの勉強をしている割には、今一つ、成長がないご主人様ですが、とにかく、沢山の曲や歌は聞いているので、耳だけは良くなり、歌い手として良いか?悪いか?くらいは聞き分けられるようになりました。
特に男性ボーカルについては「声」が90%左右するかな?
低く響く声や、あるいは甘く優しい声とか、魅力のある声で音程もボチボチであれば、それは「上手い人」となる。だか、美声だけを頼りに、気持ちが籠っていない方は、それは「罵声」を発したくなるくらい、見苦しくて「嫌な歌い手」となるのである。
昔は声量がありタップリ歌う方が上手いと思っていたし、ボサノバなんて誰でも簡単に歌えると思っていた。だが、それは大きな間違い。
例えば、アントニオ・カルロス・ジョビンやイバン・リンス。あるいはセルジオ・メンデスとかのボサノバ系の有名な方の声を聴くと、それは、凄くセクシーでクラクラ!ときてしまう。特に声を張り上げるわけではないけど、何とも言えない「美声」で、雰囲気があるのです。ボサノバは簡単に歌えるレベルではなく、とても奥行きのある音楽だったのね。
さて、女性ボーカルというと、それは男性よりも、もっと複雑で、綺麗な声だから、OKという訳にはいかない。歌心や感情やいろんな要素を求められるような気がして、これって難しい課題ですね。
声は作られると言う。歌はその人の人柄や思いが出てしまう。
だらしない方の歌はだらしなく聞こえ、奢っている方はそのように聞こえる。だからこそ、いつも優しく、謙虚な気持ちでいなくてはいけないのだ。上手いと言われなくても、せめて、聞く方にとっては誠実な歌い手になりたいと切に思う。
あまりの見苦しさに「罵声」だけは避けたいワネ。
こうして、ご主人様の「美声」への旅は果てしなく続くのである。