ライアンらしく・・・

悲しい出来事がありました。
実は先月の28日、ライアンは永眠されました。

皆様方には生前、大変お世話になり、親しくさせて頂きましたこと、
また、入院中は、大変なご心配、及びご尽力を頂戴致しましたこと、
大変感謝しております。心より、御礼を申し上げます。


一年八か月の苦しい闘病でした。
ですが、ライアンは「神様がくれた命だから大切しなくてはいけない」と言い、決して後ろを見ず、しっかりと前を向き、戦ってまいりました。


出口のないトンネルのような「絶望」の中でも、必死に「希望」の光を見つけようとしておりました。
その姿はご立派でした。


奇跡があるのなら、どうか!と何度も願うご主人様。
でも、実は、ライアンがこれまで頑張っていたことが、まさに「奇跡」だったのだ。


葬儀は、沢山の方に来て頂き、皆の思いが肌で感じられるような心温まる式でした。
お清めの席では、ライアンの写真が多く飾られ、まるで、皆と楽しそうにお酒を飲んでいるような気さえして・・・


いかにもライアンらしい。


神道であるがゆえ、式には雅楽が流れ、神官様の振る舞いは厳かであり、しかも、何故か晴れやかな気分にさえさせてしまう。


これもライアンらしい。


ご主人様は、悲劇のヒロインになることもなく、取り乱したりもせず、始終、淡々と自然に振る舞っておられました。その姿もご立派でした。


ライアンが旅立った日は、綺麗なお月様が出ていたようです。所謂、中秋の名月であり、その日は「スーパームーン」とも呼ばれたほどの美しい満月だったそうです。
翌日からはまさに秋晴れが続いていた。
綺麗な月に抱かれ、風に吹かれ、心地よい秋の空と共に旅立ったのであれば、文句も言えないではないか!


誠にライアンらしい。


ライアンらしくこの世に生を成し、ライアンらしく違う世界の人となる。
これはきっと素晴らしい人生であったのだ。きっとそうなのだ。

人様の人生は決して「死」で終わるものではないらしい。むしろ、その後にこそ、その人の生き様が浮き彫りになり、その人生があるとも言う。
ならば、ライアンの人生をより一層素晴らしいものにしたいと願うご主人様。


今日は30日祭。
家には新たな神棚が祭られ、綺麗にお飾りを致しました。
小さな、小さなこのお部屋がライアンの居場所。
良き神様になられることを心から祈りつつ、今、ご主人様はその準備をしているのです。