日曜日は嫌い

日曜日、安息の日である。皆が大好きな日。アットホームなファミリーも、いちゃいちゃした若きカップルには微笑んでしまうが、高齢のご夫婦がゆっくりと歩く姿には、つい羨望の視線を送るご主人様。
日曜日が嫌いといったのは、ライアンが入院中、何故か、病院から連絡が入るのが、どういう訳か?日曜日だったからだ。単純に大きな病院でも安息日は手薄になるのだろう。それ故、日曜日はいつも緊張して、少しでも早く病院に向かっていた。
月曜日になると、沢山の外来や医師も通常になり、ホッと息をつき、安心するのが習慣であり、新しい一週間がこうして繰り返されていたっけ。

いろんなことを考えたし、多くを知った。
医師たちは大変優秀な方々で良き治療をして頂き、深々と感謝の気持ちを述べるのだが、本当に感謝するのは、患者が元気になった時だけで、ブラックジャックはどこにもいない。

その当時、いくつかの病院で大きな医療ミスや、また治療もしていない患者に不正報告もなされていた事柄を新聞で賑わしていたけど、何故、このようなミスが起こるのか?分かるような気もする。今の医療は検査の数値だけを目で追い、その改善を模索するもので、結局、知識や技術だけでは命は救えないということだ。
自分の病は自分でしか直せない。心と心で語り合い、希望を見せることが医療現場で重要な事で、良き医師というのは、きっと、その心得がある方なのでしょう。

何とも、ウツウツとしていたご主人様であるが、病院で、あるご婦人と出会った。
一人はがんを患った方で、「病気と喧嘩してもなんにもならない。むしろ、共存し仲良くしているの。お願いだから大人おとなしくしてね。」といつも話していると言っていた。
もう一人は、ご主人様と同じお立場の方で、「何にも出来ない。代わってあげることもできない。そばにいることしかできないもんね」と言っていた。
実はこの言葉に随分救われた。
共存しながら戦っていこう。何にもできない。それでも何か出来る事はないかと、前向きに思いを巡らせていたご主人様。
そんなご主人様の為にライアンは本当に頑張ってくれていた。
「人を助けることができるのは人だけだ。」ライアンの口癖だったナ。

日曜日になると、その時の情景を思い出す。
しかし、子供みたいに「日曜日は嫌い!」というのはあまりにも大人げないワネ。近くでは、なんやら、お祭りのようである。太鼓の音が鳴り響き、歌声も聞こえる。恒例の焼きそばやたこ焼きの出店もでているのでしょう。
来年の今頃は太鼓の音に誘われて、外に出てみようと思う。