あれから2年

東日本大震災から今日で2年。TVでは震災地の現在を映し出していて、さすがに瓦礫と呼ばれるものはきれいになくなり、更地になっている。
でも、瓦礫はただのゴミではない。その方々の思い出が詰まっているのである。木のかけらにも割れたコーヒーカップにも・・・愛を育んだ家庭があり、人生がギュッと詰まっているのだ。深い悲しみを持つ者にとって、それらのかけらでも、とても大切な宝物なのだろう。そう思うと、本当に辛い。
震災地で復興を願いつつ、頑張っている人たちも多く、映していた。以前はその地に訪れる方を「人の不幸を見て、そんなに楽しいのか!」と思っていたが、今は来て頂き、嬉しいと。そして、その土地のものを買っていただいたら、それが、復興になるのだからと言っていた。それでも、ピースサインで、まるで、楽しい観光のように写真を取られたりすると、嬉しいような・・悲しいような・・複雑な気分になるそうだ。
国として復興はまだまだであるが、それでも、少しでも前に、前に・・明るいほうへと、震災で苦しんだ分、人々の心は復興へと確かな足取りで進んでる。
巨大地震がまた来ることは、すでに予測されているし、富士山の噴火にしても、いつ有ってもおかしくないそうだ。建物や、原発や、人が作り出すものは、今後、いろんな課題が必要だが、自然が成すことには何も抵抗できないことを、今回の震災で学んだ。だが、それでも、その教訓を活かし、自分の命は自分で守らなければいけないことも学んだ。
そして、それは、いつ何があっても、後悔しない、いつ死んでも悔いはない生き方をしたいという希望に変わっていった。
昨日、知人から電話を頂いた。大変お世話になった方の訃報である。その方はJAZZが大好きで、よく、ライブハウスでは楽しいお話を聞かせて頂いたものでした。ご主人様とは10年くらいのお付き合いで、ご主人様のライブも楽しみにして下さり、とにかく、いつも、エールを送ってくれていて、いつかは、音楽で恩返しをしなくては・・・と、日頃から思っていたのです。
実は、とあるライブハウスで今年は10周年となり、今回はスペシャルとばかりに、質の良い楽しいライブを企画していて、きっと、恩返しもできるのでは。と思っていたので、それも叶わず、とても残念な気持ちです。
人の悲しい知らせは突然、やってくる。1年に2〜3回、逢うかどうかのお付き合いであっても、それは、本当に悲しい知らせでした。そういう気持ちが重なったせいか、TVの映像の一つ一つに、つい、涙してしまう。
2年前の今日、あんなに悲惨な出来事であっても、東北の方々が相手を思いやる優しい言葉をかけ、なんて素晴らしいのだろうと思った。父を探す子供の姿や、子供を捜し、何日も歩き続けるお父さんの姿、そして、新たな命の誕生もあった。
あの時、心から生きててよかった。と思った。家族も無事で、知人や友人も元気だと聞き、本当に嬉しかった。それだけで何もいらない。これほどの幸せが他にないくらい、生きていることの素晴らしさを感じていたのだ。
あれから、2年。この震災は決して忘れてはいけない。
あの時、自分が感じた気持ちを、思い出すためにも・・・
もっと、もっと、人を好きになろう。大切に、愛していこう。
そして、東北の方に負けないくらい、もっと、頑張らなくちゃ!
そう、再び、心に刻むご主人様でした。