忘れられない「幸せ」の言葉

随分、前になりますが、確か、立川談志さんが言っていた言葉がある。談志さん本人の言葉かどうか分からないけど、とても素敵な言葉だった。
それは、「一日、幸せになりたかったら床屋に行きなさい。一週間、幸せになりたかったら恋をしなさい。一年、幸せになりたかったら家を建てなさい。一生、幸せになりたかったら自分に正直でありなさい」と。
確かに、床屋さんや美容院、気持ちいいものね。男の方はお髭や顔を剃られたりして、あの気分が何とも言えないかもしれない。その日一日はスッキリ気分である。恋も一週間では寂しいけど、誰かを好きになり、眠れぬ夜も過ごし、心は夢心地。ハッと現実に戻るのは体力的にも1週間位かもしれません。
そして、一年の楽しみは家にあるという。ご主人様は家を建てたわけじゃないけど、お引越しをして早半年。確かにいろんな発見があったワネ。
ちょっと、思い出してみると・・・引っ越したのは、丁度、秋で、そろそろ落葉と言う頃だった。それから、それが枯葉に変わり、気が付けば公園の道に一杯あるではありませんか!誰がお掃除するのかしら?と思っていた矢先、風がソヨソヨと吹いて、アラ!不思議!枯葉が一つの場所に移動するのです。風は時として、公園のお掃除もしていたのネ。小鳥たちのさえずりは、そのメッセージだったのかしら?たかが、小さな公園の出来事だけど、自然の中で、ちゃんとそれぞれのお仕事をしていることに、ちょっと感動していまいました。それから、冬支度の始まり。木々には葉もなく寒々しくなり、木枯らしが吹くのである。12月からお正月までは何故かウキウキ気分になったりするのだが、その間も冬はしっかりと浸透してゆくのだ。本当に今年の冬は寒かったわ。雪も沢山降って、「アラ?冬のソナタかしら?」なんてロマンチックなことも言えない位寒かった。そして、春が少しずつ目覚める。春の嵐も時々怒ったように吹き、雨も降る。
春の雨は草花にとっては、恵みの雨。今の時期にしか得られない栄養なのだ。春の雨は優しいはずなのに〜♪と言う歌詞があったけど、まるで子育てをしているお母さんのように暖かく優しい雨が降る。そして、いよいよ出番の時を迎えるのだ。ず〜と待ち構えていたように、順番を間違えることなく、花が咲く。まずは水仙、そして、チューリップにすみれ、梅に桃に・・・そろそろ沈丁花。丁度、今はこのあたりですね。
そして、待ってました!の桜が咲くのでしょう。桜は素晴らしい役者である。わずか10日間のお芝居で、いろんな美しい味わいを見せ、観客を喜ばせ、幸せにする。ほろ酔い加減のお客様には、時々、冷たい風も吹き、酔いを醒まさせてくれる。花冷えの季節でもあるのヨ。そして、その余韻が残っているうちに新緑の季節がやってくる。一年の中で、最も美しい季節。そして、恋の季節なのだ。ジャズでも何でも5月やMAYが出るときは、それは恋の歌、それも幸せな歌なのです。春やSPRINGも同様な意味だけど、それ位、素晴らしい季節なのだ。むせるような若い匂いの緑色の風に、心地良いような、恥ずかしいような、怖いような・・・それでも、風に吹かれ、どこかに連れて行ってほしい衝動に駆られる。新緑の隙間に見える、眩いばかりの太陽の強い視線にクラクラとするのだ。(アラ!随分と詞的なご主人様じゃない?)
それは、ちょっと、遅い「子の芽時」かもしれないが、フワフワしていて楽しいのである。今年はこの季節、思い切り楽しみたい。とご主人様。
6月に入り梅雨。湿気を伴うこの雨は、太陽が輝く場所を準備するかのように、空を綺麗に掃除しているのかもしれない。そして、夏!楽しい夏と言うより、今や、節電、我慢の夏である。きっと暑いだろうな?今から何故か気合が入ってしまいそうです。9月になり、また雨が降る。9月の雨はちょっぴり寂しい別れの雨。激しい夏に別れを告げ、秋の季節を迎えるのだ・・・・・
こうしてみると、1年と言う年月は自然の出来事だけでも沢山あるし、それに行事も加わると、結構、忙しい。でもこれが、日本の365日。四季折々のそれぞれの顔を見せてくれるのは素晴らしいことですね。
そして、一生の幸せは「正直者」だというが・・・
ご主人様はどちらかと言うと、子供の時から正直なお方。それ故、沢山、恥も掻いたし、失敗も多かった。もう少し、適当というか・・・世渡りも上手く…と思うのだけど、これは難しいわね。
普通の方が自身が思うように、感じたように生きたいと思っても、やはり、そのように生きられないと思うのだ。
以前、談志さんの落語を聞いたことがある。談志さんはある師匠から破門され、新作落語に取りかかるようになったけど、実は、古典は全て熟知していたし、誰にも負けない上手さを持っていた。そして、一番やりたかったことは古典だったと思うのだ。
談志さんの落語は素晴らしかったな。特に、女性の役をしたときの体から迸る色気に身震いした。あの色気は他の方では出せない味だと思うのだ。
以前にも言ったことがあるけど、「形があって、型破り」。
談志さんは物凄く、誰よりも努力した方。正直者が幸せであるように頑張ってきたように思う。その幸せは、頑張った人でしか与えなれないご褒美なのだ。そのように思えてならない。
新聞を見ていたら、談志さんの弟子が「嫉妬」について、問うたときの言葉が載っていた。
「己が努力、行動も起さずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、それを嫉妬と言うのです」と。
素晴らしい!どんな時にも、どんな難しいものでも、端的にちゃんと答えてくれる。凄い方だったな〜。今一度、談志さんの落語、聞いてみようと思った。
ご主人様もいろんな方を見て、「嫉妬」と言う難しい漢字でなくても、シットや焼きもちは日常茶飯事であったが、それは、もうやめにしようと思った。これ以上、レベルを下げたくないし、そして、幸せな人になりたいと思うからだ。