團十郎さんの訃報

朝、起きて吃驚した。團十郎さんのニュースである。
以前から、体調が悪いとのことで、蔭ながら心配していたご主人様。
勘三郎さんが亡くなり、團十郎さんまで失う訳には行かないのだ。どうか元気になってほしいと願っていた。
市川家は歌舞伎の中心であり、伝統を重んじる家柄。「歌舞伎十八番」をお家芸とし、演目は『助六』『勧進帳』『暫』が有名。
どちらかといえば、「荒事」と呼ばれるおおらかで「にらみ」を効かせ、いかにも歌舞伎らしい演目をお家芸としている。
ある人は言いました。
團十郎さんは上手い役者ではなかったが、立派な役者だった。」と。
荒事は迫力こそあるが、やはり繊細な味というよりは、やや大味になってしまう。一本調子の声の出し方もそのように感じてしまうかもしれないが、團十郎さんがいると、皆、安心して芸に打ち込める。歌舞伎の芝居が締まる。なにより、そのオーラで観客を包み込んでしまうのだ。そんな役者は團十郎さんくらいだろう。
聞けば、早くにお父様を亡くし、いろいろな方に頭を下げ、芸を教えて頂いたと聞き、かなりのご苦労があったのだな〜と思う。
思いやりに溢れ、常に歌舞伎のこと、興業のことを考えていて、何よりも、『人』を大切にしていた。と。
宇宙が好きで、NASAにも行き、目を輝かせながら、「いつかは宇宙で歌舞伎をしたい」と、壮大な夢を持っていた。
伝統を重んじる反面、宇宙にはばたく夢を見ていたのである。
故・勘三郎さんは生前こんなことを言ってました。
「形があるから形破り。形がなければ形なし」と。
常に新しいことにチャレンジして風雲児と呼ばれたが、その陰で、基本をみっちり稽古し、誰よりも努力をしていた方。
昨今、新しいものが注目されるけど、それは、團十郎さんがしっかりと歌舞伎に足を付けていたからこそ、古い伝統を守っていたからこそ、新しいものが生まれ、歌舞伎界も活性できたのである。
「荒事」という荒々しさを誇張する芝居をお家芸としているが、実は、目にも見えない細やかな優しさで歌舞伎界全体をいつも守っていたのだ。
惜しい方を亡くして、本当に寂しい。
せめて、あと5年生きて欲しかった。
新・歌舞伎座のこけら公演で團十郎さん、勘三郎さんの名がないことは考えられないし、いづれは親子三代の競演も見たかった。
両人にはせめて思い残すことなく、安らかに眠って欲しかった。
気が付けば、今日は「立春」。
季節はまだ冬だけど、暦の上では春を迎える。一つの季節は終わり、そして、幾年か経ち、暫く冬眠していた「團十郎」「勘三郎」という名にも巡り合えることだろう。そんな春を心待ちに待ってみたいと思う。だが、その頃まで、ご主人様は元気でいるだろうか?ちょっぴり心配な私です。