八月に思う・・・・

八月と言えば、日本人にとっては、考え深く、忘れられない情景が浮かんでくる。8月6日には広島に原爆が落とされ、9日には長崎にも。そして8月15日に終戦を迎えるのだ。
今、思うと、終戦からわずか9日間に起きたのだ。
何故、日本は負けると分かっていたのに、アメリカは原爆を落としたのだろう。また、何とか、その恐ろしいものを阻止することは出来なかったのか!と今でも悔やまれる。
そんな中、「はだしのゲン」を読んだ。(漫画ですけど)中沢啓治氏の経験を元に描かれたものであり、多くの国でも読まれている作品である。
作者の両親や家族は原爆で命を奪われ、作者もまた、被爆した。作品は作者が見た当時の少年時代がそのまま描かれ、事実であるが故にリアルで、それゆえ、ついつい引き込まれ、ご主人様もその時代にいるような錯覚さえするのだ。そして、一緒に悲しみに暮れてしまった。
作者のお父様は画家であり、芝居もやっていたそうでだ。当時から「この戦争は国民のものではない。真の平和を考えなくてはいけない」と訴えた方で、勿論、その発言は御法度。ゆえに非国民のレッテルを張らされる。非国民となれば、世間は白い目で見て、虐める。そんな中、近所の「朝鮮人」の青年だけは親切にして助けてくれたそうだ。戦争は人の心までも蝕む恐ろしいものだけど、そんな中でも、人のふれあいがあったのでしょう。
TVを見ていたら、まさしく、終戦の話をしていたので、ついつい見てしまった。当時のアメリカの大統領はトルーマンであった。原爆投下の指令をしたのも彼である。
トルーマンははっきり言えば、能力もない。知識もない。人望もない人であった。だが、そんな人が国のトップになってしまった。そうなると何を考えるかと言うと、「権力」である。何とか、権力の効力を見せたかったのではないか?という。そんな折、予てから研究していた「原爆」をどこかでその威力を確かめたかったのだろう。研究費もかさんでいたのも理由の一つだという。日本はアメリカに負けることはすでに解っていたし、その意味で日本は恰好な実験台だったのだろう。誰にも相談しなかったとあるが、何故かスターリンだけには打ち明けたそうである。
その後、8月6日に広島に原爆が投下された。そして、8日にソ連は日本に「宣戦布告」をし、努力もせずにいとも簡単に「北方領土」や北海道の一部を我が物にした。
その時、日本の総理にその旨の連絡があり、政府に連絡をしたところ、電話の回線がすべて切られており、対応が遅れたという記述もある。酷い話です。まったく許せない話です。戦争と言うのは皆を狂人にするのです。
戦争を快く思うのは「軍事産業」だけで、その商人を「死の商人」と呼ぶらしい。
戦後68年を迎えようとしているが、これは決して忘れてはいけないことなのだ。そして、同時に日本も他国に同じような事をしたこと。また、アメリカの兵士だって、いまだに心の病と戦う人が沢山いるということ。被害者も加害者も共に苦しんだ。それだけ戦争は悲惨で意味のないものだということを・・・
日本は平和主義であるが、それでも、いつかは戦争は起きるだろうと思う。それは人は愚かな生き物だからだ。
アインシュタインの素晴らしい研究「相対性理論」の方式は、途轍もないエネルギーの公式であり、戦時下においてドイツに悪用されてはいけないと悟り、アメリカに亡命したものの、結局アメリカに悪用されてしまった。研究者の尊厳さえ餌食にするのだ。
いつかはクローン人間も出来るだろう。(もういるのかもしれないが・・・)絶対開けてはいけないと言われる「パンドラの箱」ほど、人の好奇心は開けたくなってしまう。
死の商人」はいつの時代にも優しい顔をして息をひそめているのである。
山中教授の素晴らしいIPS細胞の研究は、決して悪用されることなく、世の中のためになって欲しいと切に願う。
昨今、国会では憲法の改正や集団的自衛権の話が出ているが、これは本当に重大な事で、真剣に考えていかなくちゃいけない問題だと改めて思う。選挙の投票率だって50%を切り、政治に無関心では、それは非常に危険なことなのだ。「ヒトラーの手口に学べ」と言う方もいるのだから、気が付けば世の中が変わっていたってことにもなりかねない。
だからこそ、きちんとした賢い方を国の代表をして選び、世の中をしっかり見なくてはいけない。これは国民の義務だと思う。
はだしのゲン」を読んで、つい、こんなことを感じてしまいました。今読むべき本はこの本だと思いますよ。