憂鬱なニュース!

最近、よく聞く言葉・・・偽装・誤表示・盗聴・不正審査・金融庁検査もあったわね。
ホテルとは最も信頼している場所である。そこで出されるお料理はきっと良い食材を使っているに違いないと皆、思っている。味良し、サービス良し、そして金額も良しである。ちょっとお高いのは安心料なのだ。それが、覆される事件がありました。なんと、それが有名なホテルの食材偽装と言うのだから吃驚!ちょっとがっかりですね。
また、世界の国家機関での盗聴も日常的に行われていて、日展では「書」の部分において、公募作品であるにもかかわらず、受賞者はすでに決められていたという。誰もが実力を試すことが出来るのが公募であり、その道を歩く者にとっては、それは夢の第一歩なのだ。だがしかし、「先生にはお土産を。手ぶらで帰す訳にはいかない」という暗黙のルールがあるそうな・・・
そして、もう一つ。大手銀行の不正融資。金融庁の話まで出てきて、つい「半沢直樹」を思い出してしまいましたが・・
要は「信じられない世の中」だってことですね。個人情報保護なんて言っておきながら、個人情報を山ほど流出する世の中。分からないことだらけです。
ここで一句。今の気持ちは「夢破れ きらめく星よ 路傍の石となる」
一番嫌なニュースは子供に関わるニュース。
どんな理由があるにせよ、無抵抗な者に対してのむごい仕打ちだけは許せない。誰にもそんな権利はなく、本当に不憫に思えてならない。TVでこのようなニュースを見るたび、チェンネルを変えるのだが、本当に気分が滅入ってしまう出来事です。
次に嫌いなのが、「ストーカー」にかかわる事件。聞けば、被害者と加害者は元カレ・元カノ・元夫に元妻が多く、少なからずも全く知らない赤の他人ではなく、そこには「恋愛」もあったのだろう。
恋愛という季節において「君は僕のものだよ。そして僕は君のもの。」なんて、言われてウルウルと嬉しくなったこともあるかもしれないが、考えてみたら、この言葉は実に失礼だと思う。それは、まるで、自分の私物や所有物のようなニュアンスを含んでいるようにも思うのだ。
自分のものだから何をしても良い。愛があれば問題ない。自分勝手な理屈は通らない。
愚かな者ほど、愛する者を自分の低いレベルに押し込み、拒否されると逆上し、全て支配したくなる。飛び立とうとする小鳥をむりやり籠の中に入れたとしても、結局、悲しい結末しかないことを知らないのだ。
このような事件を見るたびにそんな身勝手な心情が伺えてしまう。
さて、恋愛の話ですが、昔、「個人教授」というナタリー・ドロン主演の映画がありました。ルノー・ベルレーという若者が年上の女性に恋をし、そして別れる話。
少年から大人になる間には、成熟したものに憧れを持つものだ。と誰かが言っていました。自分が未熟だからこそ、成熟した大人の女性に惹かれ、そして、未熟だからこそ、女性を幸せに出来ないと知り、諦め、別れる。この映画では、相手を自由にすること、そして、諦める事も愛だと教えてくれた。
失恋と言うのは辛いものである。好きな人から嫌われるなんて耐えられない。だけど、自分と向き合い、死ぬほど辛い思いをして、その別れを乗り切れた時、今よりももっと、素敵な恋が出来る成熟した大人になれるような気がする。そして、その人は決して相手を傷つける事はしないのである。何故ならば、傷つく辛さを知ってるからだ。
子供は社会からの預かりもの。
愛とは相手の身になって考えてあげられること。
結婚の誓の言葉には「世の中が移り変わるように、人の気持ちも変わっていく。だからこそ、双方で日々、努力をしなくてはなりません。」と言う戒めの意味があるのです。
単純だけど、人として、愛する者としての基本が分かっていれば、このような事件も少しは減っていくのでは・・なんて思います。
さてさて、今度はご主人様の話。
ご主人様はご存じのとおり、「歌」好きなので、常日頃、鼻歌交じりで、知らず知らず歌っちゃったりしているのです。
ある日の事、夜も遅くにピンポーン!と鳴り、恐る恐る玄関を開けてみると、何とお隣さんがいらして「あの〜歌を歌われているんですが、ちょっと声が響くので〜〜〜」とお叱りを受けてしまいました。ちょっとお酒も入り、声が大きかったのかしら?
「そうでしたか!すみません!気を付けます」とお詫びをしましたが、注意をするというのは余程のことで、今までにもソレはあったのかと思うと、もう申し訳ないやら、恥ずかしいやら・・・人様に迷惑をかけないようにと言うのが信条だったのに、イッパイ迷惑をかけていたなんて・・・「ワタシッテバカ!バカ!〜」とどっぷり落ち込んでしまい、ユ・ウ・ウ・ツなご主人様。
ということで、反省も込め、オウチでは「歌を忘れたカナリア」に徹しているのです。秋晴れの中、ご主人様の周りでは憂鬱なニュースがイッパイなのだ。トホホ・・・