音楽座「ラブレター」

先日の「Guys And DollS」は無事終了しました。本当は男女4人のライブだったんだけど、やむをえない理由で、女性はご主人様一人となりましたが、ちゃんと頑張りましたよ。ひとりの力はどうしたって一人分だけど、2人いればそれは3人、3人いれば4人、そして、それ以上の力が発揮できるのです。
「Guys And DollS」はミュージカル仕立てのライブで、普段あまり、聞けない曲も取り入れ、それはそれは素晴らしい企画なのです。DUOも何曲かやりましたが、もし少し、時間をかけて練習すればよかったかな?とちょっぴり思いますが、まぁ、まずまずの出来かな!来て頂いた方々、本当に有難うございました。また、来年もチャレンジしますのでよろしくお願いしますね。
さて、一昨日の日曜日に、音楽座のミュージカルを見ました。ライアンの知人より頂いたものなのです。場所は新宿の文化センター。ちょうど、新宿ジャズフェスティバルもやっていて、軽快な音楽と共に、Q子と駆けつけました。
「ラブレター」という演目で、浅田次郎氏の原作である。確か、以前、読んだことがあって・・・悲しい話じゃなかったかな?でも、ミュージカル?どんなふうに歌うのだろう?と興味津々のご主人様。幕が上がると、もう、知らず知らずに涙が出てしまって、素晴らしいミュージカルでした。
あらすじは・・・時は1993年(20年前ね)主人公の吾郎はチンピラ。怖いお兄さんの小間使いをし、根無し草のような暮らしをしている。そこに、「偽装結婚」の話が持ち上げられ、渋々、引き受ける事に。僅かばかりの謝礼を頂くが、それもあっという間に使ってしまう吾郎。それから2年がたち、警察から奥様が亡くなったので引き取って欲しいという連絡が入る。怖いお兄さんに相談するものの、引き取り手がないと言う事で、ここでも、渋々、弟分のサトシと出向くことに・・・・
女性は中国人で、日本で働き、国に仕送りをしていた。不法出入国を恐れ、偽装結婚をするが、その代償は大きく、結局、身体がぼろぼろになるまで働かせられていたのだ。
妻と言う女性のカバンには、手紙があって、そこには「吾郎さん、本当に有難う!皆、優しいです。日本の人、皆優しいです。そして、なにより、一番、吾郎さんが優しいです。私と結婚してくれて、本当に有難う!一生懸命、ワタシ、働きました。国にも沢山、お金、送れました。それも、吾郎さんのお蔭です。本当に有難う」と。
鞄の隅には、吾郎の写真があり、出身が岩手県であること、どんな人であるかと言う文書もあった、そして、もう一通の手紙があった。「毎日、吾郎さんの写真を見て、感謝しています。有難う。ワタシは吾郎さんとおなじお墓に入りたいです。いつかは、吾郎さんの故郷に連れて行ってください。吾郎さんは優しいです。私はシアワセです。」と。
見たこともない、何も知らないこの女性が妻で、だけど、この人は、自分のことを知っていて、いつも「優しい」と言って感謝してくれている。この人をぼろぼろにしたのは自分なのに、「優しい」という。
「馬鹿野郎!!馬鹿野郎!全部ウソなのによ〜〜!」涙が滲み、初めて妻の顔を見る、それは、言葉に表せない程、美しい顔だった。その時、今までにない情がわいてきて、初めて夫婦だったと思えた吾郎。「分かった。いつかは一緒の墓に入ろう」と心に決め、故郷へと、遺骨を抱き、旅経つ吾郎。
だけど、所詮、チンピラである。一歩でも極道の道に足を入れたら、堅気の道は遠く、幸せと言う言葉は無縁の世界。吾郎は、同じチンピラに殺められるのである。
それから、18年、あの震災の出来事である。あの時、一緒に行ったサトシは医者になっていた。ボランティアでこの土地に来て、人助けをしながら、吾郎の墓を探していたのだ。墓は流され、昔、お世話になった叔母さん、お姉さん。そして、医者と言う希望の道を悟らせてくれた先生も、みんな、流されてしまっていた。
悲しい話である。人として、一番、素晴らしい尊厳は「優しさ」なのかもしれない。それは、人を許す優しさであり、自分をも許される優しさなのだ。そして、優しい気持ちを持っていながら、使い方を知らない吾郎。これも、悲しい話ですね。
1993年から2011年へ。脚本は震災の現場に行きつく。これは「命」のドラマであり、寂しい「死」、そして、「生」への希望のドラマでもある。
劇中、「死人」と語り合うシーンもあるが、皆、励まし、そして自分を「優しい」と言い、許してくれているのである。
愛がある手紙なら、それは、「ラブレター」。
気が付かないうちに、ご主人様も、今まで、たくさんの「愛」を頂いているのかもしれませんね。そんな気持ちを気づかせてくれました。
いい芝居でしたよ。浅田次郎氏っていい話を書く作家ですね。もう一度、読まなくっちゃ!